去年のバースディライブで初めて披露されたと聞いていた曲、范范「
この曲、
范范のバースディソロライブの後にPARA Cが解散し、その後の范范の辛い時期の傍らにあった曲だと聞いていた。
音源を知らなかったから、もっとバラード的な曲だと思っていた。自分を奮い立たせるような曲だったんだな。
英語タイトルはAfter Wake Me Upだと思っていたんだ。
それが、タイトルを見て、胸を突かれた。
はっきりとした夢。夢を見ながら「これは夢だ」という自覚のある夢。
きっと、去年の冬に范范が見た夢があるんだ。
PARA Cのメンバーだったり、あるいはそれよりも前に一緒に踊っていた友人たちが出てくる夢。
楽しい夢だったに違いない。
夢の中で「これは夢だ」と分かってしまう夢。
自分はPARA Cの5人ともが好きだったので、今でもPARA Cが解散した時がつい数か月前のような気がするけれど、もう一年が経とうとしている。
PARA Cの5人が好きだったという話はここで少しだけ書いた。
今の范范が、あの時のどれぐらいの切実さで今この曲を歌っているかは分からない。
人は忘れてしまうし、忘れないと生きていけないことだってある。
只中にいた時は辛く、その辛さから逃れたいと思い我が身を奮い立たせていた時に傍らにあった曲を、
我儘な客はいつまでもあの頃の切実さで歌って欲しいとせがみ、
「今はもうそういう気分じゃないんだ、歌わないよ」というアーティストはよくいる。
(ぱっと思いついたのはRadiohead「Creep」かな。一時期そうだった)
あんなに忘れたかった痛みなのに。
忘れかけた痛みをかき集めても、あの頃披露したステージに届かない。
その時、表現者はどう乗り越えるのだろう。
彼女の著書や音楽雑誌でのインタビューを典拠とした発言が色々と挙げられている中で、彼女の音楽観、創作の秘訣について。
- 初期は「自分の無意識にあるものを表面にすくいあげる行為」を無意識にしていた。
- 第二期ではそれを意識的に行うようになり、すくい上げるというより、潜りに行くようになった。
- 活動休止を経た第三期では、自らに課していた様々な検閲を取り払うことで表現の幅が広がり、それまでになく己をさらけ出すような作品も、それまでになくフィクション性の高い作品も登場する。
「『誰か』の気持ちを描くことで、自分の意識下にあった気持ちに触れる」
范范にとってこの曲が、切実なものではなくなり、克服した過去の象徴となる時が遠からず来たとしても、
この曲を聴く誰かにとっては、只中の痛みを癒し、立ち向かう曲であり、自分の代弁者のような曲として聴かれることもあるだろう。
范范をより知りたい人への三つの記事
(やっぱり范瑋琪と名前が被ってるって言われてるんだ・・・諸々で検索していると范范の記事や動画を探しにくいなぁと思うことも多い)
以下は所感。追記しました。