2025/7/20 水晶の夜前夜
投票に行かなかった人は沈黙している。
参政党に投票した人も沈黙している。
投票権があるような年齢の大人だから。
大人は自分の機嫌を自分一人でとって。
ネットに溢れる正論を「それはそうだよな」と思いながら、自分の癒えない傷を誰にもぶつけることなく、そんな時に寄り添ってくれる音楽があったはずだ。
無性に中島みゆきを聴きたくなった。
中島みゆき7thアルバム「生きていてもいいですか」(1980年)
【収録曲】
1.うらみ・ます
2.泣きたい夜に
3.キツネ狩りの歌
4.蕎麦屋
5.船を出すのなら九月
6.~インストゥルメンタル
7.エレーン
8.異国
「生きていてもいいですか」、まさかサブスク解禁になってないのかよ。別の怒りが沸いてくるwAmazonでもタワレコでもどこででも買ってくれ。
サブスク解禁になっていない中で、手軽に聴けるのは「蕎麦屋」。斉藤和義のカバー。
「エレーン」はWANDSの元ボーカリスト上杉昇のカバーがある。
自分一人だけが悪者のようで、自分一人だけが損をしているかのようで
自分なんかがいなくても、世界は眩しくてキラキラしていて
お前の言葉は正論、偉くて立派だね
この、圧倒的な疎外感から「エレーン」「異国」へと畳み掛けるアルバムの構成も凄いんだよな。
令和の若者からミドルエイジに、中島みゆきのような、強くて優しくて、弱い矛盾にも寄り添ってくれるような歌姫はいるのだろうか。
大森靖子がそういう存在なのかな。
SNSの特性として。
言ったこと、やったことを言いたがる人は可視化されやすい。
やらなかったこと、言わないことは見えない。
SNSほどノイジーマイノリティーが大きく見えるところもない。
「参政党に投票した人を馬鹿にするな」というポストも流れてきたけれど、それですら
「どうせあんたらは『そっち側』」
言葉にできるだけで充分強者だと、押し黙って感情を溜めている人は見えない。
いるはずだ。きっとたくさんいるはずだ。
SNSで不特定多数に向かって何かを言うこともない。
砂糖菓子のように甘く蝕む口当たりのいい言葉に惑わされず、
SNSで見かける同類の飲み込みやすい言葉に拠りかからず、
手を伸ばせば届く行動範囲の中で、自分の中にある矛盾を引き受けて耐えている。
SNSで飛び交う口論では救われないハイテンションでも煌びやかでもない感情を、言葉に出来ないまま手放さず抱えている。