「見てるよ」

中国のBTSのファンがBTSに自家用飛行機をプレゼントしようとして止められた話や

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BLACKPINKがファンからのプレゼントを受け取らないと言ったこと
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こういう話を最近続けて聞き、ファンのあるべき姿って何だろうって、ちょっと思ったんです。

 

 

あるいは、Woodzのスンヨンがファンに言っていたこと(探したけどソースが出てこない。うろ覚え)

「僕はあなたのすべてが欲しいわけじゃない。あなたが少し疲れた時に、僕を見たり僕の曲を聴いたりして元気になってほしいだけ」

 

 

 

演者は、盲目的な支持者が欲しいわけじゃないと思うんですよね。

 

 

senotic.hatenablog.com

より文章を引用(お借りしました。有難うございます)

「ファンというのは、本当に大事だと思った。いくら深く考え、綿密で高度な作品を作り上げても、ファンがその価値を理解できなければ意味がない。理解してくれるファンがいてこそ、成り立つ。価値のわかるファンに対して、いい加減な作品は作れない。作品やアーティストを高めるよい循環ができる。日本の盲目的なファンやお布施額で忠誠心を競わせるようなビジネスは、音楽やアーティストをダメにしていると思う。」

 

 

社会的な罪を犯しても「彼はそんなことをしていない!」と盲目的に信じないのではなく、好きなアーティストが極端な反社会的発言、あるいは政治的な発言をして、それで嫌いになって、自分が今まで好きだった過去の作品すら全否定するのでもなく。

 

人は社会的な動物、それはそれ、作品は作品って自分は思っているのかな。今までそんなことを考えたこともあまりなかったけれど。

 

だって例えばあるアーティストが人を殺したとして、被害者も加害者もみんな死んでしまっても、作品はずっとずっと残っていくんだよ?「アマデウス」っていう映画があるけど、今に生きる自分がモーツァルトの曲を聴くとき、生きていた時のモーツァルトの性格云々とか関係なくない?

 

確かに制作者のバックグラウンドを知って色々と推測する楽しみ方も勿論あるけれど、初見で何も知らない人にも刺さるというのが、いい作品だと自分は思う。誰でも最初は初めて。いつの時代にも初めて知った人が「これいいな」と思うことが積み重なって、人気になって、長く残っていくのだから。

 

現世で犯した罪は現世で償いましょう。

あなたが生んだ作品はあなたが死んでもずっと遺ります。

 

 

 

話がずれた。

ファンというのは、数ではなくて、金ではなくて。

手間と時間を自分にどれだけかけてくれているか、っていうのかな。

上のBLACKPINKの記事は「物はいらないけれど、手紙はOK」って言ってるんですよね。ファンとしては嬉しいよね。世界のBLACKPINK、手紙だってたくさん届くだろうに。忙しくて読めないとか言えないだろうに。

 

 

手紙を書いている間は、その人のことを考えている。

何ていうのか知らないけれど、ファンがスターの写真を切り貼りしてアルバム作ったりするじゃないですか、それを手紙で送ったりして。

誰かにとっては駄文や紙くずでしかないものが、誰かにとってはそうじゃない。

それってつまり、値段では測れないものだということだと思うのです。

 

 

自分がカバー曲やカバーダンスが好きなのも、そういうところにあるのかも。

 

プロになったら、自分の好き嫌いに関係なく「こういうカバーに乗っかっておけば今話題になる、戦略として、このカバーは自分にあう」と稼業として考えるのかもしれないけれど、嫌いなものを時間をかけて練習するって辛いだろうなって思ったりもするんです。舞台裏の苦労を表では見せないのもプロだけど、パフォーマンスって、気持ちが乗っているかどうかで出来が凄く変わってきたりもするし。

 

ただ「カバーしてる!好きなんだね!」という単純なものでもなくて、カバーするきっかけは何であっても、実際にカバーすることでいいところが見つかるっていうのかな、カバーすることでその曲の難しさや良さ、構成の上手さが分かるってあるんだろうなと。キリングパート難しいけれど、これができたら確かにかっこいい、理由のある難しさなんだなとか。プロだからプロのやっていることが分かる。

 

ということを書いたのは、INIデビュー曲のダンスカバーをしたKENZOさんの動画を見て、思うところがあって。

【踊ってみた】INI|'Rocketeer'/DA PUMP KENZO

youtu.be

日プ2でデビューしたINI。その時のダンストレーナーだったKENZOさん。

新曲リリースのタイミングで動画を上げることで、本家INIの認知も上がるだろうし、絶好の援護射撃になるのは勿論の上で、

実際に踊ってみたら、より分かることが色々あるんだろうなと思う。見せ方とか難しさとか。「あの時の君たちが、今こんなことをやっているって見てるよ」という手紙だと思ったのです。

 

 

「見てるよ」

 

 

youtu.be

 

「ずっと僕見てるから ちゃんとやってよ」

 

何て愛情深い一言なんだろうって、思ったんだ。

 

このインタビューでは「ちゃんとやってよ」の方ばかりを掘り下げていましたが、自分はむしろポイントは「見てるよ」の方だと思ったんです。

 

 

 

読者のいないブログを書くようになって少し思いましたが、客のいないステージに上がって演奏する演者って、こんな気持ちなんだろうか。

たとえ炎上でもいい、誰かに自分を見て欲しいと、暗黒面に落ちる人も中にはいるんだろうか。

 

プデュで、分量の少ない、初回評価がF組始まりみたいな子を応援しているファンで、ダンスのここが上手くなった、音程が安定するようになった、高音が出るようになったと、細かく見ている人が時々いますが、ああいうの嬉しいだろうなって思うんですよね。

 

自分がやりたいことを見ていてくれる。自分がやりたいことを分かってくれる。そのプロセスを見てくれる。

誰かが見てくれていると思うから頑張れる。その人の期待に応えたいと思う。その人に対して、恥ずかしいことはできないと襟を正す。

 

僭越ながら自分も、推しにとって恥ずかしくないファンでありたいと、襟を正して生活していきたいものです。何か、まとまらなかったな。